さばくのほし/あいのきせき(7)


「砂食みに沈む集落」と思しき廃村に辿り着く頃には既に夕暮れが近付いていた。1年近くもハリムを出ていない所為か、旅をしていた頃よりも体が鈍っている。重さを増した鞄を持て余しながら、ユウリィはひたすらに進んでいく。今引き返せば闇の中を歩く羽目になるだろう。今晩はこの廃村で過ごす必要がありそうだった。
徐々にではあるが、確実に沈んでいく夕日。言い知れない不安と焦りを覚えた。行けども行けどもひとけの無い、砂漠の中に埋まろうとしている世界。不審者どころか、人の姿さえも無い。聞こえるのは鳥の囀りではなく通り過ぎる不気味な風の音。
 こんな所が、バスカーの民の故郷だったのか。聞いていた話よりもずっと殺伐としている雰囲気に、眩暈すら感じた。
 それでも。結局この場所に足を踏み入れている事実に何か運命的なものを感じながら歩を進めていく。
と。
 人影を見つけて、ユウリィは立ち止まった。瞬間ぶわあと砂嵐が押し寄せて、ユウリィは目を開けていられなくなった。砂粒はユウリィの顔面に叩きつけるようにして去っていく。口内に砂粒が容赦なく入ってくるその不快感をやり過ごしながら、砂嵐が過ぎるのを待って目を開けた。

 そこにいた、のは。
 襲い来る衝撃に、ユウリィは右手に持った鞄を取り落としそうになった。
 ――やはり、間違いなく自分のあの人だった。

 クルースニク・アートレイデ。

 その男性は、何か布切れで懸命に家の外壁を拭っている。一心不乱に、砂で汚れた壁を元の形に取り戻そうとその作業に没頭していた。最後に見たあの姿に似た、何処へ仕事に行くわけでもないのにかっちりシャツを着込んで。ようやく作業しづらいのに気付いたのか腕まくりする、その姿。
 ユウリィの、世界で一番大切な絆。
「にいさん」
 感極まって呼びかける。二人の間を駆け抜ける強い風に掻き消され、その声は届かなかった。彼は気付かないまま、黙々と作業を続けている。
 今まで懸命に堪えてきたありとあらゆる感情が強く噴き出してくるのを覚え、ユウリィは男性に向かって駆け出した。
「兄さん…!」
 もうどうでもいい。生きていたのなら、もう他の事は何だっていい。ユウリィの瞳には、もはや彼の姿しか映らなかった。風に巻かれて、ユウリィの目尻から一筋涙が空中に踊った。
 そうして、その男が振り返る、その直前に彼に抱き付いた。
「…ッ?!」
「兄さん、兄さん、生きていたんですね…!」
 頭ひとつ分上で、静かに息を飲む気配。硬直した状態で、彼はただユウリィが抱き付くにまかせていた。
「…ユウリィ…」
 その声音。何もかもを、もう全て失ってしまっていたのだと思っていた。けれど、希望はここにあったのだ。わあわあと声を上げて縋りついてしまいたい衝動を堪えて、ユウリィは潤んだ瞳で彼を見上げた。
「生きて…いたんですね」
「…」
 彼はユウリィの名を一度呼んだきり、何も言おうとはしなかった。…あまり、喜んでいないらしいのが気にかかる。どう贔屓目に見てもユウリィのように感激しているようには感じられなかった。
「どうして、何も…」
 何か言わせようと口を開いたが、クルースニクがそれをやんわりと拒絶した。両腕でそれとなくユウリィの体を引き離してくる。抵抗せずにそれを受け入れたら、二人の間の距離はあっさりと出来上がった。
 次の瞬間に頭上から掛けられた言葉に、ユウリィは真っ白になった。
「お前に、話す事は何も無い。…帰る場所があるのだろう、そこへ行って、もう二度と、ここへは来るな」
「なぜ?! …兄さん、どうして!」
「今日はもう遅い。泊まっていけ。…朝が来たら、帰るんだ」
「兄さ…ッ」
 冷水をかけられたかのようだった。高揚していた気分はあっさりと霧散する。
 わけが分からなくて、ユウリィは押し黙った。クルースニクは自分には会いたくは無かったのだろうか。邪魔だったのだろうか。これでもう世話をする事も無いと思っていたのが突然現れたりしたら、確かに迷惑に思うだろう。
 自分のした事は、そういう事なのだろうか。だとすれば、自分と同じ年頃の娘を兄らしき人物が見つめていたという話はどうなる。彼の行動には一貫性が無い。
 それもこれも、説明が無いからこちらが混乱するのだ。口下手ならまだいい。彼の場合は話さないのだ。話せないのではない。
「付いて来い。こっちだ」
 手招きすると彼は一軒の家へと入っていった。付いて行くしかない、そう思った。何かを聞き出す機会があるとすれば、それは今晩しか有り得ない。そこで聞き出さなければ、兄は集落を飛び出していずこかへと逃げてしまうだろう。そういう予感がある。妹に居場所を知られないために。
 ユウリィは覚悟を決めると、彼の後姿を追った。


つづく


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