サスペンド(3)


 そして今。アンジェリークは絶望したリュミエールと相対している。
「どうする? わたしを衛兵に突き出す? わたしを責める? わたしを投獄する? それでもいいわ、わたしは自分が罪人なのを知っているもの。悪い事をしたと知っているもの、咎を背負う覚悟なら出来ている。だってわたしはひとごろしだものね」
 言って、アンジェリークはくっと口元を歪めて笑った。
「わたしを聖地から突き落としたいならそうすればいいわ、それでもあなたたちの天使は二度と手に入らないけれどね。そうしたいならそうすればいいわ。…それでも…」
 口を閉ざして、アンジェリークはふと真顔になった。
「わたし…あなたを許さない」
 リュミエールはアンジェリークから顔を逸らしたまま、床の一点を見詰めながら呟いた。彼の顔色は未だ悪い。
「前に見舞いに行った時、ロザリアはあなたに毒を盛られたと訴えていました。彼女が不安定になったばかりに言った出任せだと、気にも留めていませんでしたが…本当だったというのですか?」
 アンジェリークは握った拳を口元に当てると、きゃはははと笑い声を上げた。
「本当の事に決まっているじゃない。あなた、恋人の言う事を信じてあげなかったの?」
 恋人より女王を信じたというのか。アンジェリークは彼の思わぬ忠誠心の高さを、一笑に付した。
「あなたは何が目的…なのですか」
「目的? 目的? そんなの決まってるじゃない」
 あくまでも「まるで意味が分からぬ」といった調子のリュミエール。とうとう我慢の限界に達したアンジェリークの顔から、まるでそれが仮面だとでもいうように笑顔が滑り落ちる。何かに憑かれたように無表情になったアンジェリークが発したのは一言だった。
「復讐よ」
「復讐なんて、わたくしたちが一体何を――」
「しらばっくれないでよ!」
 突如激昂したアンジェリークに、リュミエールは言葉を失い立ち尽くす。
「こうまでなってもまだ自分が潔白だと言うつもりなの? 本当にどうかしてるわ。…そうよね、潔白だって思うわよね。だってあなたはわたしの事なんてどうでもいいんですものね。わたしの事なんて気にも留めない、いないのと一緒、傷付けてもそれとは分からないのね。ロザリアは大事だけど、わたしの事はどうなったって良かったんだから。あの時からずっと」
 リュミエールの顔が紅潮する。
「それは…。そんな事は…。わたくしは、あなたを女王として…」
「女王として、何? 『尊敬している』? 『敬愛している』? 本当にそうなら、今頃あなたは自分のした事を後悔している筈だわ」
 束の間考えて、リュミエールはそれでもきっぱりと口にする。
「――後悔なら、していません」
「そうよね。あなたはそういう人だもの。あなたは直接意志を口にはしないけれど、こうと決めたらそれが正しかろうが間違っていようが突き進む人だもの。見た目とは裏腹に、ね。…笑っちゃうわよね。あなたは試験の頃から粛々とその意志の達成のために動いていたのに、わたしは全然それに気付いてなかった。わたし、女王になってからやっと気付いたのよ。…あなたとロザリアが、わたしに何をしてくれたか」
 リュミエールがはっとしたように立ち上がり、アンジェリークの顔を凝視した。
「あなたはわたしに、このわたしに期待をかけてくれているのだと思っていたの、ずっと。…でも本当は違ったの。あなたはロザリアを女王にしたくないばっかりに、私に毎晩しつこいくらいに力を送り続けていたのね」
 今でも時折夢に見ては魘されているとアンジェリークは言う。リュミエールからの期待に胸膨らませていたあの日々を。リュミエールから支持を表明してもらえる度に嬉しくて浮かれていたあの日々を。それだけ好かれているのなら、きっと二人は結ばれると夢見ていたあの日々を。
 それは無残に打ち砕かれた。女王が決定したその日の夜、リュミエールが結んだ縁はロザリアとだった。女王になったあとにその噂を端々で聞き、そして人目に付かないような場所で仲睦まじく過ごす彼らを見て、ようやくアンジェリークは自分が利用された事に気が付いたのだ。
「嘘だと思ったわ。だってリュミエールはわたしを支持してくれたのに。最初は噂の意味が分からなくて混乱したわ。だってわたしはリュミエールから決定的な言葉を聞くために女王になってからもずっと待っていたのに。馬鹿よね、女王になったら恋は取れないのに」
 嘘だった。優しい言葉もいたわりの態度も何もかも計算。
「…ロザリアも狡い子よね。あんなにいい子ぶって…自分を女王を多く輩出したカタルヘナ家の人間だと言っていたくせに。あなたの提案に乗って、二人でわたしを騙したの。あんなに『恋愛ごとに浮かれている暇があるなら勉強しなさい』とうるさく言っていたのに、あの子自身は恋愛を取ったというのね。浮かれていた私が馬鹿みたい」
 身に潜む感情の激しさのために体を震わせるアンジェリーク。眉間に深い皺が刻まれる。
「加えて私を苛立たせた事は何だと思う? あれは即位が終了してからの話よ、ロザリアがわたしに、今まで隠してきたけれど自分とリュミエールは交際していると告白してきたの。許してあげると言ったらあの子ったら涙ぐんじゃって。わたしがずっと怒っているのだとかん違いしていたのって言うの。アンジェリークと親友でいられてよかったってわたしの胸に泣きつくのよ、呆れちゃった。誰が怒っているですって? ――わたしは呪っているのよ、怒るなんて段階、とうに過ぎていたわ」
 アンジェリークは言葉を切り、腕を組む。
「わたしが呪わしく思ったのはね、リュミエール、あの子がわたしからあなたを奪っておきながら平然と親友面を続けてきた事よ。あの子は伴侶も親友も手に入れた。わたしとは大違いね。わたしはなりたくもない興味も無い女王の椅子に座らされ、かすかに望んだ願いは叩き壊された。それどころか家にすら帰れなくなったのよ? わたしは不満のぶちまけどころを失くしたの。…だからわたし、あの子に長い時間をかけてゆっくり、じっくりと、わたしの気持ちを教えてあげようと思ったの」
「それでロザリアを巻き込んだと言うのですか? 全てはわたくしが考えた事、彼女は関係ありません、だからもうこんな事やめて下さいませんか…!」
 両手を広げて訴えかけるリュミエールに、アンジェリークは冷ややかな視線を向けた。
「リュミエール、あなたは何か勘違いしているようね。だって対象にはあなたも含まれてる。あなたも、なのよリュミエール。あなたたち二人をばかり、幸せにはさせないわ。だからわたし、ずっと待ってたの。一番いい方法であなたたち二人を不幸のどん底に落とし込めるその瞬間を。楽しかったわ、ロザリアの幸せそうな顔が苦痛に引き攣る痛々しい表情に変わっていくのを見ているのは。眺めててすごく気持ちよかったの。長年耐え続けてきた分も綺麗さっぱり清算されるくらいにはね。ねえ、リュミエール。わたし、今とても幸せなの。本当よ」
 そうして、清々しい笑顔でアンジェリークは呟いた。

「――これでお相子ね?」


おしまい


■あとがき
ここまで読んで下さってありがとうございました。
というわけで、目的を達成するために本当に手段を選んでいないのはリュミエール様でしたというオチです。
この後の3人のゆくえについては、ダイジェスト版のこちらをどうぞ。⇒おまけ
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