ワルプルギスの夜(1)


ロザリア・デ・カタルヘナは<冬の惑星>にいた。
頬を切る風の冷たさ。降り止まぬ雪。一向に太陽を見せようとしない曇天。一歩一歩進む度にブーツが雪の中に沈んでいく。前に進むだけでも一苦労だ。
今、ロザリアはひとりきりだった。しん、しん、と雪が音もなく降り積もっていく極寒の地で、ロザリアはただ黙々と足を前に出していた。
ひどく寂しさを感じる惑星だ。無音の所為か。人気の無い雰囲気の所為か。
――こんな所に、あの人はいるのか。
こんな事になった、そのきっかけを思い返していた。



頼みたい仕事があるので、執務室へ来てほしい。
そう命令を受け、女王補佐官ロザリアは今、女王の執務室にいた。目の前には女王陛下ひとり。人払いがされていた。
「お願いがあるの」
相談の見当はついている。今朝から続いているあの混乱に纏わる相談事しかないだろう。
「敢えて言葉にするまでもないと思うけれど。用件は、オリヴィエの失踪についてよ」
アンジェリークのものの言い方は、いつだって直球だ。

オリヴィエの失踪。

何の置手紙も無かったと聞いている。ある日ふいに、唐突に彼は消えてしまったのだ。その場に残されたものは、ただ彼の日常のみ。彼は身ひとつで消えてしまったのだ。
詳細をきちんと調べてみれば、僅かな現金と化粧道具とがなくなっている事が発覚した。化粧道具というのがいかにもオリヴィエらしい。
失踪を予感させる前触れは何も無かったそうだ。失踪する前の夜は、少しだけアルコールが入った状態でルヴァとチェスをしたとか。その後お開きになり、彼は自分の私室に戻って休んだと。いつも通りの遊びに、いつも通りの就寝時間。けれど朝には、彼はベッドから跡形もなく蒸発してしまっていたのだ。
失踪発覚直後は、酔っていた状態だったというルヴァの証言から、何処かで危ない何かをしでかしてしまったのではないかと、聖地はひどく混乱した。
けれど、それは第256代女王陛下にきっぱり否定される事になる。アンジェリークは言ったのだ。「彼は生きている。彼は自らの意志で聖地から逃亡したのだ」と。女王の力の前には守護聖の逃亡など無意味だ。
そうして今。女王陛下の準備が整ったと聞いて、ロザリアは女王に謁見している。
「彼は<冬の惑星>にいるわ。…彼の様子をね、見に行ってほしいの」
短時間で居場所を特定出来た事に、一瞬ロザリアは驚く。しかし考えてみれば、女王の力をもってすれば彼の居場所を見つける事など容易いのだろう。
「…連れ戻せ、とは言わないのね」
「それは、彼の返答次第。まずは彼がどんな感じか、それを見てきてくれればいいわ。そして現状を教えて頂戴。そこから先の話は、状況次第でまた相談させて」
「…彼はなぜこんな事を仕出かしたと思う、アンジェリーク?」
「さあ。本人じゃないから、分からないよ。私が分かるのは、彼が自発的にここからいなくなったという事。犯罪の匂いはしない事。それだけ」
「…そう」
彼を責任感の強い人だと思っていたけれど。こんな事になってとても残念だ。彼には彼なりの動機があったに違いないけれど、それは宇宙を放棄しても構わない程大きなものなのか、ロザリアにはどうにも理解出来ない。
淡々とした様子で相槌を打つロザリアに、アンジェリークは曖昧な笑みを浮かべた。
「時空回廊を自由に使っていいわ。あとで地図に丸印を付けておいてあげるから、それを持っていって。…彼に会って、そして真意を確かめて」



そして今、<冬の惑星>にいるロザリア。
暦の上で言えば初夏だというのに真冬の北方地帯並みの寒さだ。人が住める環境ではない。過酷な冬が一年中続く事から、この惑星は通称<冬の惑星>と呼ばれる。その真の名は「雪の惑星」。…オリヴィエの故郷の惑星だ。
長く歩き続けていた足を止め、目の前にある一軒のバーを見た。「デュプリケイター」と書かれた小さなバーだ。積もった雪で、屋根が分厚くなっている。アンジェリークがくれた地図によれば、オリヴィエはここにいるとの事だ。
扉を開ける前に深呼吸をひとつ。そして、ロザリアは扉を開けた。途端にむせ返るアルコールの匂い。ウォッカ。強いアルコール臭で、一口すら飲んでいないのに喉に焼け付くような熱さを覚えた。
彼の姿はすぐに見つけられた。
一番隅のカウンター席を陣取っているオリヴィエ。遠くにいても人目を惹きすぎるあの容姿が、今はかえって有難かった。小さな硝子のコップに透明な飲み物を入れて、ちびりちびりとやっている。「飲んだくれている」という言葉がぴったりの状況だった。
ロザリアはつかつかと彼のすぐ隣まで歩み寄ると、彼が持っていたコップに掌で蓋をした。
「ごきげんよう、オリヴィエ」
「…あんたなの」
ロザリアを見遣るオリヴィエ。随分飲んでいるようだったが、それでも瞳には理性の光があった。
「悪かったですわね、陛下でなくて。…あなたの様子を見てくるようにと、そう頼まれましたの」
「へえ、様子? こんなふうに楽しく飲んでるけど、それが何か?」
陽気にグラスを傾けるオリヴィエを見て、いよいよ何とも言い難い居心地の悪さを覚えた。聖地に戻らぬ事で、夢のサクリアが欠乏し宇宙への影響がどれほど出るか、分からぬ彼ではないだろうに。一体どうしてしまったというのだ。
「…呆れた人」
「何とでも言って」
「こんなものは、いつも周りを気にかけて行動するあなたらしくありませんわ。それに、あなたがサクリアを供給しなかったら宇宙がどうなるか、分からないわけはないでしょうに」
静かに諭すが、それにオリヴィエが耳を貸す様子は無い。
「戻って陛下に伝えてよ。オリヴィエは絶対に戻らないって。私は、ここからはけして動かないって」
「…」
言葉がまるで伝わらない。別の言語を話しているようだった。
「ねえ、もう、帰ってよ。聖地の人間の顔なんて見たくない。私はここで、飛行機械が落ちるのを見るんだ」

意味不明な言葉を口走るオリヴィエは、やはり少し酔っ払っているようだった。こんな状態の彼を説得して連れ帰れるとは思えない。それに彼に会うのは様子を確かめるだけでいい、という指令も出ている。
一度引き下がるべきか。
どのみち再依頼が発生するのだろう。その担当が自分がどうかは女王陛下のみぞ知るものだが。
「…今日は分が悪いようですわね。…また会いに参りますから、そのつもりで」
ロザリアは彼を鋭く一瞥すると、身を翻した。



これは、夢の終わりと始まりの物語。


つづく


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