逃亡者・2


 逃亡者。
 私は、それになりたいの。
 お願い、もう、私を逃がして。



「アンジェ! 調子はどう」
 次の日、ロザリアが見舞いに来てくれた。
 怒っている顔で、でも本当はとても心配してくれている顔で。
「悪くないわ。ごめんね、迷惑かけちゃって。本当は今日には調子が戻っているはずだったんだけど……」
「いいのよ、気にしないで。きっとまだ疲れが残ってるのよ。今日も休んでちょうだい。仕事なら、わたくしが出来る限りやっておくから」
「ありがとう。やっぱりロザリアは有能だね」
「何言ってるんだか。こんな頼りない女王にはわたくしがついてないと駄目なんだから仕方ないでしょ。ほら」
 ロザリアはお見舞いの花を手渡してくれた。
 可憐な紫色の小さな花の束。
 ちらちら揺れるその花をうっとり見るふりをして、アンジェリークはロザリアと目を合わせようとしなかった。
「頼りない……かな」
「まぁ、女王試験ではあなたに一歩遅れを取ったわけだけど……わたくしはあなたよりずっとしっかりしてると自負してるわ」
「ふふ、そうだね。サポート、これからもよろしくね」
「まかせてちょうだい」
 それじゃ、仕事がたまってるからこれでね、と言ってロザリアは急ぎ執務へと戻っていった。

 1人になったアンジェリークは、そのまま花束に顔を埋めた。
 息苦しさは増すばかり。
 花の匂いはこのままアンジェリークを呼吸困難へ連れ込むもののように思われた。
 ロザリアの事は、いい子だとアンジェリークは常々思っている。
 ぱっと見つんけんしてそうに見えるけれど、それこそ勘違いというものだ。
 本当は心優しい人。いつも自分より周りの人を気にかけている人。
 だから息苦しいのだ、彼女のそばにいると。
 ……彼女こそ、女王になるべきだった。きっとみんなそう思っている。
 どうしてこんな事になってしまったのか。どうして女王は間違って選ばれたのか。
 私じゃない、ロザリアがなるべきだったのに。
 彼女は試験の始めからひたすら女王になる事を望んでいた。
 名門カタルヘナ家出身で、女王になる事を始めから望まれていた。
 自分は、そうじゃない。
 父も母もあんな子に敵うわけがないのだから早く試験を終わらせて帰ってきなさいと言っていた。
 自分自身だってそのつもりだった。
 彼女の対となるべき、まるで手本とならない候補として試験を受けるつもりだったのに。
 彼女の引き立て役として女王試験に臨むつもりだったのに
 ロザリアが、女王になったらいい。みんなそれを望んでいる。私もそれを。
 ……それがどうしてこんな事に。

 父は母はどうしただろう。友達や恩師は。
 誰にも聞いたことが無いし、聞くつもりもないけれど。
 だって、きっととっくに死んでいる。

 さっき、ロザリアに聞きそびれた事がある。
 言いたかった。聞きたかった。
「ロザリア、女王になりたかった?」
 その言葉を、誰もいないこの部屋で呟いてみる。
 きっと、いや必ず彼女は怒るだろう。
 怒りたければ怒ればいい。だってこれを欲しているのでしょう。
 だったら交換しない?
 いえ、交換じゃ足りないわ。あなたにこれを譲るから。

 家へ帰して。帰して!

 ふいに込み上げてくるものがあって、アンジェリークは花束を投げ捨てるとその場に突っ伏して泣いた。
 ごうごうごうごう頭の中が沸騰しそうだった。
 苦しい苦しいと脳が告げている。
 あなたが嫌い、大嫌いとアンジェリークは罵った。
「ロザリア、あなたが大嫌い」
 何でもないふりをして、私の補佐を務めているロザリア。
 私の地位が喉から手が出る程欲しいくせに。
 私のこれが仮病だって事も、賢いあなたには分からない筈ないのに。
 やる気のない私の態度に、本当は腹を立てているくせに。
 あなたはその全てに対してただ何でもないふり。滑稽よ。
 必要だから仲良くしてるだけなんでしょう、あなたが私の補佐官だから。
 あなたなんて友達でもなんでもない、そんなのは友情って言わない。
 友情ごっこは、もうたくさん。
 ふざけないで。欲しいのなら奪ってよ!
 そんなに欲しいなら。私から無くしてよ。私の中から空っぽにして。
 そうしたら私帰れるんだから。家へ帰れるんだから。
 父と母が待つ家へ、帰れるんだから。

 錯乱。
 いっその事錯乱したらいい。
 自分がめちゃくちゃな事を言っていると分かってる、それじゃまだ錯乱していない。

 このように精神差し迫る時、人は神に縋るという。
 神にただひたすら祈る事で心の平安を取り戻そうというのだろう。
 この宇宙に生憎、神はいない。いるのは女王。
 だったら何に縋ったらいいのだろう。何に助けを求めたら?

 誰か、私を助けて。
 私をここから逃がして。
 何もかももうたくさん、もう限界よ。

 逃亡者。
 私は、それになりたいの。
 お願い、もう、私を逃がして。


つづく


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