逃亡者・3


 逃亡者。
 私は、それになりたいの。
 お願い、もう、私を逃がして。



 脱出しよう、そう、決めた。
 昨日の夜から延々泣いて、泣き続けながら出した結論だった。

 きっと、ここから逃げ出すことは、私を楽にしてくれる。

 そう、きっと逃げなければいけないのだ。
 そういう時期が来てしまったのだ。
 ここから逃げ出すことは、私を幸せにしてくれるに違いない。

 逃げよう。ここからどこかへと。

 一旦決めてしまうと、自分の気持ちが随分楽になる事を知った。
 いつもみたいな息苦しさも、どこへやら。
 心が楽だった。羽根のように飛んでしまえそうで。
 ただ、逃げ出すまではこの計画を誰にも感づかれないようにしなければならなかった。
 方法は考えてある。至ってごく普通の計画だ。
 夜中に起き出し星の小途を使う、これだけ。
 単純なだけに計画の露呈だけは免れなければならなかった。
 そして朝になれば女王が星の小途を使い逃亡した事実はすぐに発覚するだろう、その前にせめて主星以外の星に辿りついていなければならない。
 遠くへ。遠くへ。
 誰にも分からないくらい遠くへ。
 誰にも追いかけてこれない程の遠くへ。
 それで逃亡中に例えば死んでしまっても、この閉じた状況で生き続けるよりはよっぽどましだった。
 誰にも捕まえられっこない。私は逃げるのだから。



「アンジェリーク。最近、やけに機嫌がいいわね?」
「そうかな」
「そうよ」
 鬱陶しい、いい気分なのだから話しかけないで。
 気付かれるわけにはいかないのだから。
 いつもみたいに分からないふりをしてよ。
 あなたは味方、そう信じてるわ……



 ついに決行の日はやってきた。
 逃亡する事を決めてから早1ヶ月。
 準備をするのにそれ程の時間がかかってしまった。
 午前2時、歩きやすい格好に着替え終わって。
 興奮する、胸のどきどきが止まらない。
 大丈夫、きっと上手くいく。
 新しい土地で私は生きるの。私は私を幸せにしてあげる。
 女王ではない何かとして。聖地ではない場所で。
 間違ったものを正しに行く。
 手にかいた汗をそっとハンカチで拭いた。
 置手紙も残さずに行く。何一つ。この場合置手紙でも残したら捕まる可能性が増えるから。
 アンジェリークはリュックを背負うとふうと一つ深呼吸した。
 よし、行こう。
 窓を、音を立てないようにそっと開けると、そこからひらりと身を乗り出した。
 ざっと芝生の上に着地する。
 今ので思ったより音が出てしまった。慌てて辺りを見渡すが、異常は見当たらない。
 大丈夫、まずは第一段階成功。
 さすがに夜中だけはあって、照明はかなり落としてある。この辺は事前に調べてある。
 星の小途までのルートは、なるべく暗いところを選択している。
 誰にも見つかるわけにはいかないのだから。
 そっと一歩を踏み出す。心臓がうるさいくらいに緊張していた。
 想像通りだが、誰もいなかった。怖いくらいの静寂。前が見えない程の暗黒。それこそアンジェリークの望むところだった。
 もう一歩を踏み出し、辺りをもう一度確認したあと、ついにアンジェリークは歩き出した。
 走らないのは、体力が奪われるのと何かがあった時に急には止まれない事が理由である。
 こういう時こそ焦っては事を仕損ずる。
 難なく宮殿を抜け出し、守護聖たちの私室のわきをくぐり抜け。
 やがて前方に星の小途が現れて、ほっと小さく息をついた時、「それ」はやってきた。
 後方で、何かが動くざっという音がした。
 驚き振り返る前に、「それ」は声をかけてきた。

「……陛下」

 さぁっと顔面から血の気が引くのが分かった。
 誰、……いつの間に。
 後方を振り返ると、そこには。

「どこへ行かれるのですか、こんな夜更けに」

 自分を女王にしてくれた、あの憎んでも憎みきれない人がいた。
 いつか愛した、人。
 その気持ちを、忘れてしまったわけではないけれど。

 地の守護聖、ルヴァがそこにいた。


つづく


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