逃亡者・4


 アンジェリークは口元を手で押さえた。
 どうしてあなたがここに。だが疑問が口から洩れない。

「……陛下、何とか仰ってください」

 体中から汗が吹き出るのが分かった。
 どうしよう。こんなタイミングで現れるなんて。なんて間の悪い。
 星の小途は目と鼻の先だが……この場を何とか振り切ってむりやり逃げたとしてもかえってすぐに捕まってしまうだろう。
 きっとみんなを叩き起こし捜索隊を出すに違いない。
 みんなを起こされては困るのだ。
 捕まれば、今度こそアンジェリークの幸せはなくなる。
 どころか宮殿からも出られなくなるだろう。
 そんな生き地獄の目にあうわけにはいかない。

 この人は一体どこまで私を不幸にしたら満足してくれるのだ。

「ルヴァこそ……どうしてこんな夜更けに? 今何時か分かっていて?」
「ええ、もちろん。いやぁ……思索の海に入り込んでしまいましてね。眠れなくなってしまったんですよ」

 あなたは、と動こうとした彼の口が止まった。
 アンジェリークのいつもはしないラフな格好や背中に背負ったリュックが目に止まったらしい。
 気付くのが、遅いわとアンジェリークは微笑んだ。
 それでいて彼女の目は笑っていない。死んでいる。

「私? 私はね」
 聞かれてもいないのにすらすらと言葉が口をついて出た。
 話しながら、決めた。ルヴァの処遇を。
 出来る限り彼に近寄ると、耳元でそっと囁いた。

「私は逃げるのよ、ルヴァ。あなたも私に協力してくれない?」

「なっ……」
 ルヴァが、何か言葉を繋ぐ前に。
 アンジェリークは素早くカッターを取り出し彼の喉に当てた。
「誰かを呼んだら、これであなたの喉をつくわよ」
「……」
 何かあった時のために、武器は用意しておいた。
 カッターでは正直心もとないが、これ以上の武器は望んだところで手に入るわけもなかった。
「陛下……ご冗談でしょう?」
「お生憎様、私は本気よ。嘘だと思うならよく見て、私のこの手は震えているかしら?」
 いいえ、全く、とルヴァはかすれ声で呟いた。
 震えてはないとはいえ、殺すつもりなんてない。
 殺せば逃亡どころか殺人罪で捕まってしまう。
 いくらなんでも犯罪者になる気はなかった。
「ルヴァ……私がこの手を離したら、あなたはきっとみんなを起こしに行く、そうでしょう?」
「陛下」
「それは駄目。させないわ。あなたの事だから秘密にしてって言ったところできっとみんなに話してしまうでしょうし……だから」

 にこりと、微笑んでみせる。
 ルヴァがびくりと身を震わせるのが分かった。

「あなたも連れて行く。私と一緒に逃亡してもらうわ」

 言うが早いか、アンジェリークは彼の手を引っ張った。
 ルヴァはよろけるようにして付いて行く。
 このあとの事はとりあえずあとで考える。
 この男の事ならば何とでもなるだろう。
 出会ったのが炎の守護聖や光の守護聖でないのが不幸中の幸いだった。
 彼らなら力で敵わない。だがこの男くらいならば何とかなりそうだ。

 手を繋いだまま星の小途の起動スイッチを押した。
 びーっ、ともぶーっともつかない小さな音がした。起動した証拠だ。
 自分たちの周りを光が包んでいくのが分かった。
「……陛下」
「運が悪かったと思って諦めるのね。大丈夫、そのうち帰してあげるから。だけど今は無理よ」
 眩しい光が、アンジェリークたちを聖地から主星の中心地へと連れて行った。
 あとには何一つ残らなかった。



 どうしてこんな事になったのか。
 どうして憎む男と逃亡しなければならなくなったのか。
 私は1人きりで逃亡する事を夢見ていたのに。
 自分のなるのは逃亡者である筈だったのに。
 これでは逃亡者とは言わない。

 ……逃亡者たち。


つづく


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