逃亡者たち・1


 逃亡者たち。
 どうして私達はこんなふうになってしまったのだろう?

 ささ、ざざと夜の海は音と匂いでその存在を示していた。
 むせ返るほどの、潮の匂い。
 彼らは今海に来ていた。
 夜中の海。彼等以外には誰もいない。
 夜明けはまだ遠い。

「どうして、海に?」
「答える必要は無いわ」
 言葉少なに、けれど声ははっきりそれと分かるくらい拒絶の意味を含めて。
「なら、どうして私を連れてきたのです」
「今あなたが聖地に戻れば私はすぐに捕まってしまう。通報されては、困るのよ。見つかる予定なんてなかったのに」
 棘のように、怨恨の意志。
 伝わっているだろうか。少しは伝わっていればいい。
 あなたをこんなに恨む私がいるのだと。

「どうして、あんな事を?」
「あんな、って? 聖地から逃げてきたって事?」
「ええ」
 馬鹿げた質問に、アンジェリークはせせら笑った。
「答える義務は無いわね」
「いいえ。私はあなたの守護聖です……あなたが困っているのなら手を差し伸べなければならない」
「結構よ。今更私におせっかい焼いたりしないで。迷惑よ」
 あなたがもしその手を伸ばしてきたのなら。
 私はその手を振り払ってでも、1人で生きるわ。とアンジェリークは考えた。

「これからどうするのです?」
「夜明けを待って、エアポートに行くわ。辺境行きの切符を手に入れて、どこか遠くへ」
「どこまで私を連れて行くのです?」
「さぁ……私だって、あなたなんて連れて行きたくない。でも今あなたを放して私が無事で済むとは思えないから」
「私は、あなたに付いていきますよ」
 にこりともしないまま、ルヴァ。
 心なしか彼の顔色は悪い。
「それがどんな道でも、あなたが望むなら」
 不愉快極まりなかった。

 夜明けとともに、アンジェリークたちはエアポートを目指した。
 この海で時間を潰したのは、この海の向こうの人工島にエアポートがある事を彼女は知っていたからだった。
 無事に辺境行きの切符を手に入れると、彼らは時間まで待合室で待つ事になった。

 傍目には、どう見られているのだろうか。
 恋人同士?
 自分の想像に、自分で嫌気がさした。
 そんな事より、今後の事を考えなければならなかった。
 自分ひとりだと思っていたから、金は1人分しか用意していない。
 実際には、それだけ分しか用意できなかったというのが正しい。
 逃亡ルートに若干の変更を加えなければならなかった。
 この先どう進んだものだろうか? 捕まりにくい一番のルートとは?
 隣のルヴァと会話を交わす事もなく、アンジェリークはひたすらより良い道を模索し続けていた。

 それは飛行機に乗っても変わる事がなく、ひたすらアンジェリークは考え続けていた。
 ルヴァが隣であれこれと質問を浴びせかけていたが、一切無視した。
 これ以上うるさく自分に意見するつもりなら、本気で彼をどうにかする手立てを考えなければならなかった。
 2つの事を考えてるうちに、だんだんと睡魔に襲われてきた。
 思えば今日の深夜から寝ていない。そろそろ限界だった。
 だが、ここで自分が眠ればルヴァは逃亡を謀るなりなんなり何らかのアクションを起こすのは必至だった。
 眠るわけにはいかなかった。
 せめて、この男を振り切るまでは。
 だが、とうとう忍耐も尽き、気が付けばルヴァの肩にもたれてうとうととしていた。
 覚醒するとともに跳ね起きた。ルヴァの肩を押しやる。
「……っ」
「おはようございます。あれー、もう寝ないんですか?」
 一瞬でも気を緩めた自分を呪った。
 だが景色を見て、相変わらず自分たちが空を上にいる事が確認出来た。
 ルヴァは能天気そうに微笑んでいる。
「……どうして、逃げないの」
 眉を顰めてそう唸ると、ルヴァはのほほんとしたままこう告げてきた。
「さぁ、何ででしょうねー。それとも逃げた方が良かったですか?」
「……っ!」
 睡眠不足で苛々している自分を認識した。いけない。このままでは何か失敗をしかねない。
「あなたさえいなければ、私は今頃こんな目に遇う事もなかったのに……!」
 文句をつけるだけつけて、アンジェリークはまた意識の底に落ちていった。
 あなたさえいなければ、女王になる事もなかった。
 あなたさえいなければ、今ここで睡眠不足にもなっていなかった!
 心の中で叫んだが、もはやルヴァには届きようもなかった。



 目覚めると、そろそろ到着だというアナウンスが入った。
 「そろそろですよ」と隣の男が耳元で告げてきた。
 知っている、そんな事。欠伸をこらえて辺りを見渡した。
 結局、随分長く眠ってしまった。だがこの男は逃げなかった。
 逃げない分だけ、この男が何を考えているのか分からず気味が悪かった。
 逃げようと思えばいくらだって逃げようはあった筈だった。だがこの男はそれを実行する事もなくただアンジェリークの枕代わりになっていただけだった。
 かえって手錠でもしておいた方がいいのかもしれない。冗談混じりに考える。そんな便利な道具は持っている筈も無い。

 意味の無い入国手続きを済ませたあと、アンジェリークたちはようやく空港から出て外の空気が吸えた。
随分と田舎臭い空気の匂いがした。
「なぜ、ここに?」
 荷物1つさえ持たないルヴァが尋ねてくる。
「どこでも良かったの。ただ、主星を感じさせない遠い所に行きたかっただけ」
「主星を出た方がロザリアには見つかりにくい気がします」
 不思議な事を言う、とアンジェリークはルヴァを見つめた。
 その発言はまるで逃亡を擁護しているようだ。
「どうして、そんな事を言うの?」
「だって逃げるのでしょう?」
 かえって不思議そうな顔をされてしまった。
 何を考えているのだろう、この男は。ますますわけが分からなかった。
「そんな事言ったんだって周囲に知れたら逃亡を幇助したんだとあなたまで捕まりかねないわ」
「大丈夫ですよ、きっと。多分」
「二度と聖地の地は踏めなくなるかもしれないわ」
「そうですね」
 さも当たり前の事にそうするかのように、淡々とルヴァは同意してくる。
「……あなた、それでもいいの?」
「女王陛下の御意志に、私は従うだけですから」
 胸焼けがした。どうしてこういう思想が出来るのか分からない。
「じゃあ、殺せって言えば殺すの? 黙っててって命令したら、黙っててくれるの?」
「それであなたが女王の地位に残ってくださるのなら」
「じゃあだめね。あなたをここに置いて逃げようと思ったけれど」
 ふうと息をつく。

 眼下にはのどかで呑気な風景が広がっていた。
 それは逃亡者たちにとっては安らかな気持ちにさえさせなかった。


つづく


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