辿りついたのは紳士服洋品店だった。
「あの、ここで何を?」
5歩後ろを歩くルヴァは全くもって分からない、と言いたげな口調だった。
「あなた、気付いてなかったの?」
「何にです」
「あなた、相当目立ってるわよ」
「はい?」
アンジェリークはそれ、と言ってルヴァの頭の上のターバンを指差した。
「ここがどこだか忘れたの。主星なのよ。いくらあなたみたいなのがいるっていったって目立つ事には変わりないわ」
自分の出身地を悪く言われた気になったのだろう、ルヴァの顔が曇った。
だからといって反論をしてくるわけではないらしいので、アンジェリークはそのまま話を続けた。
「それ、脱いで。それからその民族衣装も。ターバンを脱がないのはあなたの故郷の風習だそうだけど、この際そんなものは捨ててもらうわ。その民族衣装もね。ここで普通らしく見える服を買ってあげるから、それに着替えてちょうだい」
「……!」
ルヴァの瞳が。
一瞬だけ怒りに染まるのが分かった。
だがそれも本当に一瞬の事で、気付いたと同時にそれはいつもの安定へと姿を変える。
「嫌だなんて言わせないわよ」
「分かって、ます」
「私に。何が何でもついていくと言ったのはあなたの方。それならこのぐらいの試練、乗り越えてもらわなきゃ困るの」
「分かって、ます」
「それならいいわ。それじゃ選んで。どの服がいいの」
「どれでも構いません」
「折角好きなものを選んでいいと言っているのよ。この、自由にならないこれっぽっちのお金で、好きにしていいと言っているのが分からないの?」
「陛下の好きになさって下さい。……」
適当なものに指を指してこれは? と言ってみせるアンジェリークに対して、ルヴァはただその目を伏せたままで答えた。
押し殺すように搾り出す言葉。辛い、と感じているのはその歪んだ眉から推測できた。
それでも言葉の刃を緩める事なんて出来ない。
もっと苦しんだらいい、私が女王になってどれ程苦しんだか、それを身を持って体験したらいい。
「そう、それじゃこれね」
どうしても彼が選ばないというので、アンジェリークは味気ない服を選んでみせた。
「あっちに試着室があるわよ」
「陛下」
「何?」
「見ていて、下さい」
「……何を?」
ルヴァは答えない。
ただゆっくりとターバンに手を伸ばし、しゅるりと音を立ててそれを解いた。
海とも空ともつかない青緑色の髪が現れ、ふわりと風に揺れた。
アンジェリークにとっては初めて見る彼。ターバンを巻かない彼を。
ルヴァはほどいたターバンを左手でぎゅっと握り締め、静かに呟いた。
「この私を、全てをさらけ出した私をどうか覚えていて下さい」
見慣れぬ彼の頭から、どういうわけか目が離せないのだった。
「どういう意味?」
「いえ……気にしないで下さい」
ルヴァはターバンを取ったままアンジェリークの手から荒っぽく服をもぎ取ると、足早に試着室に向かっていた。
ルヴァの後姿を目で追いながら。
とくとくと自分の心臓が嫌な振動をしているのを自覚する。
これは、一体。
心臓に手をやり、ふいに浮かんだ想像をかき消した。そんな事、あり得ない。
あの時の気持ちを少し思い出した、なんてただの気の迷い。
*
ターバン無しで、全く普通の男にしか見えない青年が自分の隣を歩いている。
ごく普通のスーツを身につけたこの男性は、ルヴァである。
アンジェリークも同じように服を買い、白いワンピース姿に着替えていた。
残されたロザリアはクローゼットの中を見ただろうと思う。そうしたら何の服がないのか、毎日顔をつき合わせていた彼女になら分かる筈だ。
ルヴァだけでなく、アンジェリークも着替える必要があった。
これで少しは不審に思われなくなっただろうか?
「陛下……あれを!」
右側にいたルヴァが何かを指差した。
「何?」
「あのテレビの映像を」
「え……」
ふと目に入る電化製品店のテレビ。ルヴァが指差したもの。
店頭に並べられたたくさんのテレビは、一様に同じ報道を流していた。
『この人たちを探しています』
テロップとともに現れたのは、金髪の少女とターバンをした青年だった。
身長や体重や。細かなプロフィールがアナウンサーによって読み上げられていく。
「嘘……」
ロザリア、だ。彼女が自分たちを聖地へ連れ戻そうとしている。
それを認識して、一瞬ののちに彼女への憎悪がまた湧き上がるのを感じた。
どこまで。どこまで私の邪魔をしたら気が済むの!
私が帰らない方が、あなたのためになる。それが分からないあなたじゃない筈。
何のために、私を連れ戻そうとするの。
帰りたくなんか、ない。
「ロザリアだわ」
「あなたと私を、どうやら連れ戻す気になったらしいですね……」
女王失踪とは、報道しない。
ロザリアの、何とか穏やかに事件を終結させたいのだという意志が見て取れた。
女王は世界を投げ出し逃亡したのだと、言えばいい。詰れば。
女王は既に戻る気がないのだから。
ざわり、と肩の辺りがざわつくのが分かった。
苛付く感情とともに。どうしたら、いい。どこへ逃げたら。
逃げてしまいたいのに。全ての責任など放って。
辛いのも、重たいのも、もうたくさんなのに。
逃げた先にで飛べると信じているから。
「……あ、」
近くで上がった声に、我に返った。
こちらを見ている何人かの人々。
目を見開く者たち、こちらを指差す者たち。テレビの画像と自分たちとを何度も見比べる者たち。
「アンジェリーク、いけません……!」
ああ、と喉から声が出た。ぶわあと体中から冷たい汗が吹き出た。
気 付 か れ た
動くのは、考えるより先だった。
深く考える時間もなく、ぐいとルヴァの腕を引っ張ると、そのまま駆け出した。
ただ、遠くへ。彼等の気付けない遠くへ。
*
アンジェリークはルヴァを連れて路地に迷い込んでゆく。
なぜ、彼の手を取ってしまったのか。
彼なら置いていけば良かった、連れてくる必要など、本当はなかったのだ。
ここで捨て置けば。アンジェリークの行方は彼には分からないのだから。
自分より大きくて冷たい手。
男の人の手だ、と思う。
この人を好いていた時には、とうとう彼の手さえ繋げなかった。
……どうして今、この手を離せないのだろう。
この瞬間にぱっ、と離してしまうだけだ。それだけで、きっと彼はついては来られまい。
そう思うのに。何度も。
アンジェリークとルヴァはどことも知れぬ街へ。
ただ二人きり、逃亡者たち。
つづく
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