夜の帳の中、怪人は目を覚ます(4)


 ジュリアスに呼ばれて、おそるおそる彼の執務室に向かうと、既に眉間に皺を寄せた光の守護聖がいた。何か、怒られる予感だけはとにかくしていた。思い当たる節がありすぎて、どれなのかさえ皆目見当つかない。ゼフェルと一緒に仕掛けた悪戯に気づかれたのだろうか。ジュリアスは手に持った書類をばさっと机の上に置くと、「アンジェリーク」と厳しく呼びかけた。
「はっ、はい…」
 アンジェリークとしては首を竦めてただ黙っている事しか出来ない。
「ロザリアから報告が入っている」
「はあ…?」
「そなた、最近夜に頻繁に外を出歩いているそうだな」
 彼の事だ。ぴんと来た。それを、問い質しにアンジェリークを呼んだのだ。これならゼフェルとの悪戯がばれた方のが、ずっと良かった。
「真か?」
「…本当です」
「そんな遅くまで、一体何をしている」
「図書館で勉強してます。…ロザリアに今のところ負けてますから」
 嘘ではない。実際に図書館に行ってしばらく勉強したのちに森の湖に行っているのだから。この頃は勉強するために図書館に行くのではなく、日が沈むまでの時間潰しに図書館に篭っているような気がする。
「その熱心さには感心するが…夜には出歩くな。良いな」
「怪人に出会うから、ですか?」
 アンジェリークは博打を打ってみた。ここには怪人が住んでいるという、まことしやかな噂。既に怪人に出会ってしまったアンジェリーク。彼とは、そもそも出会ってはならない運命だったのか。なぜ、彼の存在は秘密にされているのか。疑問は首を擡げるが、ジュリアスは答えてはくれないだろう。
「そなた…!」
「冗談です。ただの都市伝説ですよね。…それとも、本当にいるんですか」
 ジュリアスの、空咳。怪しい。
 あの怪人が何かをしでかすような存在には見えなかった。むしろどこか気の弱い、おどおどとした雰囲気さえあった。彼が仮面を付けている理由さえ、アンジェリークは知らないのだ。
「ともかくも。日が暮れてから出歩くのは危険だ。飛空都市、隔離された土地といえど安全性は完璧ではない。何かあってからでは遅いのだ」
「…分かりました」
 あの男の人、あの白い仮面の男には、まだ秘密が潜んでいるらしい。
 深入りせぬように、と彼の瞳が告げているような気がした。無論気のせいだろうけれど。

「ジュリアス様はなんて?」
 寮に戻ると、扉の前にロザリアが立っていた。元々はロザリアがジュリアスに告げ口したから彼に呼ばれたんだというのに。ロザリアときたら、けろっとしたものだった。
「…夜にはあんまり出るなって。もう、ロザリアったら。どうしてジュリアス様に言うかなあ。おかげで怒られなくてもいい事で怒られちゃったじゃない」
「仕方ないじゃない。ここには怪人が出るというし…あんたの事を、心配して言ってあげたのよ。感謝してほしいくらいだわ」
「またそんな事言って。怪人はそんな事しないわよ」
「随分断定的に言うのね?」
「そりゃ…」
 はっ、と直前で気付いた。きっと彼は、自分の正体を明かされる事を望まないだろう。飛空都市で長く秘密の向こうで暮らしていた怪人。周りの者が彼の事を隠したがったのと同じくらい、怪人自身もまた白日の下に晒されるのは望まないだろう。
 たくさんの人々の前に立ってしまえば、あの怯えた青年は今度こそ正気を失う。アンジェリークと初めて出会ったあの夜。がくがくと恐怖に怯えていた彼の瞳を、忘れたわけではない。
 心から信頼しているロザリアと言えど、彼のためを思えば口を開くわけにはいかなかった。
「ごめん、今後の予定立てなきゃまた明日ね!」
 早口で捲くし立てる。ロザリアの隣を通り過ぎて、扉を慌てて閉めて。閉まる直前ロザリアが「変な子ね…」と呟くのが、微かに聞こえた。怪しまれてはいないらしい。
 扉をがちゃりと閉めて鍵をかけたあとも、いつまでも鼓動はどくどくと気味悪く音を立てていた。どんな事情があるにせよ、怪人の事を漏らすわけにはいかない。ロザリアに隠し事をしている、その罪悪感に胸が痛んだ。
 生まれてきて初めて嘘を吐いた。隠した。今まではそんな事する必要が無い場所で生きてきたから。押し寄せる痛みに、心臓の辺りを掌で押さえた。
 ジュリアスとロザリアの顔が脳裏に浮かぶ。
「…ごめんなさい…」
 それでも言えない。寂しそうに本に目を落とす怪人が望むならば、秘密などいくらでも。



 結局ジュリアスにそれとなく忠告を受けた日は、ジュリアスやロザリアの監視の目が気になり怪人の下へ行く事が叶わなかった。次の日に改めて森の湖に向かい、怪人が来るのを待った。すっかり夜になり星が瞬くのがはっきり見えるようになった頃、よたよたと怪人が森の向こうの、アンジェリークやロザリアたち女王候補が立ち入りを禁止されている場所からやってきた。立ち入れない理由はこれだったのか、と今更ながらに確認した。

「…もう、来てくれないものかと思っていました」
 逢うなり、悲観的な言葉を口にした怪人。
「ごめんなさい、昨日はちょっと。…首座の守護聖様に呼び出されてしまって。私、試験でもあんまりいい結果が出てないから、よく叱られてしまうの。…昨日は行けなくて、本当にごめんなさい」
 アンジェリークはぺこりと頭を下げた。
 怪人と女王候補が出会う事を恐れたジュリアスから夜間の外出禁止令が出ているなどとは言えよう筈も無い。怪人と会っている事が知られれば一体どうなってしまう事か。予想も付かなかった。
「首座の守護聖…ジュリアスですね」
「ご存知なんですか」
「よく知っていますよ、生真面目なのが玉に瑕ですがその分信頼の置ける人です」
「でも、とても怖い方。私、怒られてばっかりで」
 しゅんと告げると、怪人はごくわずかに笑みを零した。
「あの人は自分にも人にも厳しい人ですからね。でも、彼は期待出来ない人物に怒ったりしませんから、あなたは目をかけられているのですよ」
「目をかけられる結果がお叱りなら、私は期待出来ない女王候補でいいのに」
「…」
 しばらく返事が無いのでそっと隣を窺い見れば、怪人の肩が細かく震えている。不思議に思って彼の顔を覗き込むと、なんと怪人は笑っていた。
 あの怪人が、笑っている。最初は肩を震わせていただけだったのか、ついには堪えきれなくなったようで、声を上げ始めた。
「あ、あの…?」
「ごめんなさい。笑ったりして。でも」
 目の端に笑いによる涙を滲ませながら、それでも彼は笑う事をやめない。アンジェリークはその滅多に見られない光景に目を瞬かせた。
「普通の女王候補ならば、怒られてもそこから何かを吸収しようとがむしゃらになっているものなんです。怒られるのは仕方ない、と考えるのが普通なんです。…でも、あなたは違うんですね。あなたのような普通の女王候補がいるのかと思うと、ちょっとほっとしますね」
「そりゃあ、みんながみんな、ロザリアみたいな頑張り屋じゃあないわ。私は特別製の怠け者だとは、思うけど」
「怠け者の女王陛下、ですか」
 なおもくすくすと笑いを漏らす怪人。
「もう、ひどいわ。そんなに笑わなくても」
 言葉程にはアンジェリークは彼を責められない。自分の前で怪人が自らを曝け出し、愛想とではない感情で微笑んでくれたのが嬉しかったから。それは、その人に心を許していないと出来ない行為だ、とアンジェリークは感じた。
 そうして、じわじわと沁みてくる嬉しさに、いつしかアンジェリークも彼につられて笑っていた。
 一緒になって、いつまでも笑いながら。

 この人になら。
 自分が長い間抱えてきた疑問に、馬鹿にせずに話を聞いてくれるかもしれない。

 そんな事を、考えていた。


つづく


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