夜の帳の中、怪人は目を覚ます(8)


 そうして、夜中にはジュリアスの部下によって監視される日々が続いた。昼間であっても、どうかすると時に背後に視線を感じる事が度々起こった。彼は常にアンジェリークの部屋の、扉の前に居座っている。物音ひとつ立てず、その場で直立不動のまま見守られるのは不気味以外の何物でも無かった。
 怪人に会う道は今や閉ざされた。ジュリアスとロザリアの手によって。それを恨む気持ちは無かった。無かったけれど、心の奥に発生した空洞は埋められそうに無かった。
 怪人と会えない夜は異常な程長かった。
 眠れないわけではないものの、夜更けまで窓辺でぼんやりする日々が続いた。机の上にエリューシオンに注がれたサクリアの一覧表を並べ、それを見るでもなし見ないでもなしに空を見上げた。その都度、怪人と一緒になって眺めた星空の事が思い返されるのであった。
 怪人との逢瀬が許されなくなり、怪人の私事に介入出来なくなった今、時間はどれだけでもあった。必然的にものを考える時間が増え、アンジェリークはひとつ今までと違う事をしてみた。
 女王試験に真剣に取り組んでみたのだ。
 考え方を改めたのだ。確かに第255代女王は腐っている。怪人を幸せには出来ない、女王としても人間としても腐っている女だ。だからこそ今まではアンジェリーク自身その跡継ぎになる事へは強い反感があった。けれど反対の視点から見てみれば、女王が交代し第256代に自分がなれれば、怪人を救えるのではないだろうか。自分が女王になれば、今度こそもう誰にも文句は言えない筈だった。今でこそ女王候補としての身分でしかないが、これが変革すればもう誰にもアンジェリークには意見出来なくなる。怪人が打たれずに済むのだ。
 怪人に会う事は、今は不可能だ。けれど女王になったのなら、それこそ怪人を好きなようにさせてやる事も出来る。彼が望むものがどういった類のものなのかは分からないが、少なくとも幾分かは救いになるに違いなかった。
 だとすれば、自分が目指すべきは女王という地位。打倒するべきは第255代女王。それを手に入れ、他を揺ぎ無い権威で圧倒する。この宇宙にも、この世界にも、興味は無い。ただ怪人を救ってやりたい。彼が見ているだろう悪夢から、解き放ってやりたかった。
 育成に目を向けてみれば、これ程容易いものも無かった。赤子の手を捻るように、守護聖たちに依頼しては加速度的ににエリューシオンの人口が増えていく。今まで梃子摺っていたのが嘘のようで、あのロザリアが隣で苦戦しているのを横目に、アンジェリークは女王の階段を一歩一歩、着実に歩んでいた。怪人の事が無ければ、それこそ適当に試験をこなしてロザリアに椅子を譲るつもりであった。けれど気が変わった。ロザリアのあの調子では、怪人の事を深く知ったとしても第255代と同じ事をしかねなかった。とてもロザリアには怪人の事はまかせられなかった。なれば、自分がその地位に立つしか無かったのだ。



「最近…、とても育成が順調にいっているようですね、アンジェリーク」
 毎週の土の曜日、大陸の視察に行った帰り、王立研究院を退室しようとしていた矢先の出来事だった。背後から女性の声がして、アンジェリークは振り返った。そこにいたのは現女王の補佐官・ディアであった。女王候補としても滅多に会えない高貴な立場のこの人が、このように気さくに話し掛けてくれるのは珍しい。アンジェリークは態度だけでも慇懃無礼に振舞った。この女性も第255代の手駒と思えばこそ、迂闊に信用出来ない相手に違いなかった。
「ありがとうございます、ディア様」
 女王から、怪人とアンジェリークは密通している事を、今アンジェリークに監視が付いている事をも聞き知っている筈なのに、そんな事はまるで知らぬ存ぜぬといった涼しい態度のディアに、心の底で嫌悪感を覚えずにはいられなかった。無論そんな感情はおくびにも出さない。
「先日まで定期審査さえ逃げていたあなたが…一体どうしてそんなに熱心に? 良かったら聞かせてくれないかしら」
「気が変わっただけですよ…。定期審査から逃げ出すなんて、候補としてみっともない事をしたと今は思っています。どうかもうその事は仰らないで下さい。何度思い返してみても自分が恥ずかしくなりますので」
「何にせよ、意欲があるのならば良い事だわ。ねえ、アンジェリーク、一体どうやってフェリシアとの差を埋めたの? わたくしも元・女王候補として興味があるの。不可能な程フェリシアとエリューシオンの間に差があったわけではないわ…けれどその人口の差は、埋めるのには相当の努力と知恵が必要だった筈。一体どうやったのか、わたくしとても興味があるの」
「どうやって、と仰られても…」
 上手く答えられない。確かに女王になる決意を固めてからというもの、随分と育成の進み具合が順調だとも思う。それは今まで適当にこなしていたから、余計にその差が目立つのだと考えていたけれど。それにしても、必死にやっているらしいロザリアの大陸に派手な人口増加が起こらないのは変な話だった。
 何がしかの力が働いている。それは育成に真剣に取り組み始めていた時から感じていた事だった。違和感といってもいい。自分にこのように育成の才能があるのなら、ロザリアにはさらに上をいくような才能があってもおかしくはないのに。ロザリアだけ未だに苦戦しており、自分だけ冷ややかな態度で定期審査に赴いている実情。その度毎に確実な勝利を掴む自分。
 エリューシオンの育成が順調な理由。これは推論だが、きっと怪人が絡んでいる。彼は自分が地の守護聖であると言った。彼は秘密裏にエリューシオンの育成に携わっているのではないだろうか。理由は分からない。彼がそうする事によって得られる利点も分からなかった。ただの直感。
「よく分かりませ…」
 言い掛け、はっと気付いた。ディアの発言を鵜呑みにしてはいけない。彼女が知りたいと願っているのはアンジェリークの育成方法ではない、不正の証拠だ。不正をしているかもしれないと自分は疑われているのだ。誠実そうな目は見せかけだけ、本当はその目の奥にはアンジェリークに不審な部分があれば微塵も許しはしないという意志の蛇が見て取れた。よく考えれば当然の事で、ついこの間まで定期審査さえ抜け出していた自分、さらには怪人と密会を重ねていた自分。次も何かをやらかすと思われるのは必定だった。
「…」
「アンジェリーク?」
「すみません、ディア様…私、少し用事を思い出したのでこれで失礼致しますね」
「ええ、ごきげんよう」
 女王陛下は元より、女王補佐官にも信用されていないと来た。補佐官から足早に立ち去りながら、アンジェリークは自分の未来に思いを馳せていた。

 自分は消されるかもしれない、という事を思った。
 怪人について知りすぎてしまった自分。世界が、女王が秘密にする存在に出会ってしまった自分。例えば女王になれなかった自分を想像してみる。地上に帰った女王候補には、一体どんな未来が待ち受けているだろう。怪人の事を世界に洩らさないため、女王一派が自分を消しに来るというのは可能性として考えられる。怪人の存在が洩れる事でどんな不具合が起きるか、それは分からない。しかしジュリアスの頑なな様子からして、相当の事態が起きる事は予想出来た。
 もはや女王に「なりたい」などと言っている段階は過ぎた。自分は女王に「ならなければならない」のだ。あらゆる臣民に広く自分の存在を知らしめなければ命の危険がある。
 怪人に関わった事で、自分の人生の方向がどんどん歪んでいくのを、感じないわけにはいかなかった。けれど、やり直したとしてもきっと同じ道を歩むだろうとも思えた。何度この世に生まれても、きっと怪人を救いに行く。それで自分の未来が歪んでも。
 もう後戻りは出来ない。アンジェリークが向かったのはロザリアの部屋だった。もうこちらには、一刻の猶予も無い。女王試験の終了を待たずして消される可能性もある。残された彼女はさぞや女王に相応しい事だろう。そうなる前のロザリアに言わなければならない言葉がある。
「女王候補を降りてくれ」と。

「アンジェリーク…どうしてこんな時間に」
 ロザリアの部屋に着いたのは夕方も終わろうかという時間帯だった。髪を下ろし、くつろいだ状況だったロザリアは突然の客に驚きを隠せないでいた。アンジェリークは扉がきちんと閉まったのを確認すると堰を切ったように話し始めた。
 正直、ジュリアスに情報提供した人間に会いたくは無かった。けれど他に道は無い。ジュリアスに密告したのも彼への好意の賜物で、アンジェリークに対する悪意からそうしているのではないのがささやかな救いだった。
「単刀直入に言うわ。怪人の姿を見、怪人と直接話した私はあの都市伝説が単なる噂でない事を知っている。私が女王にならなければ、私は消されるかもしれない。怪人の事をどれだけ知っていたとしてもあなたはいい、女王陛下からの厚い信頼がある。でも私は違う。こんな事を頼むのは筋違いと分かっているけれど…候補を降りてほしいの。私が生き残るため、あの人を助けるためには女王という地位がどうしても必要なの」
「…その提案にわたくしが『はい』とでも言うと思って? わたくしにだって、退けない理由が有る。あんたの提案は呑めないわ…ジュリアス様が、わたくしを女王にする事を強く望んでらっしゃるから」
 恋愛重視の傾向が、ロザリアにあるとは思わなかった。甘ったるい感情など、どちらかというとこの非常時において軽視するのかと思っていたのだが。感心した素振りで呟く。
「好きな男のためになら、何でもするのね、ロザリアって」
 その言葉を聞いて、ロザリアは気まずそうに目を反らした。その動作も、何もかもが世に言う「女」で、ふと嫌悪感をアンジェリークは覚えた。
 好きな男のためになら、何でもするのね。
 自身の言葉に、ぞくりと背筋が冷たくなった。これではまるで、自分のために吐き出したかのような言葉ではないか。ロザリアのためではない、自分のために。怪人のためになるのならと、ロザリアやジュリアスを欺き、外出禁止令を破り、怪人との逢瀬を重ね続けていた自分が言える事ではない。
「そうよね、何でもするわよね…」
 ロザリアの事など責められない。結局は自分も似たような事をしているのだ。自分とロザリアの間に、いかほどの違いがある。「候補を降りてくれ」などと、命の危険があったとしてもおいそれとは口に出せない。
「アンジェリーク、教えて。怪人とは何者なの。どうしてあんたが、そんなにむきになって入れ込むの。…アンジェリーク、どうして、そんな目をするの」
「私…どんな目を、してる?」
「…わたくしと同じ目をしている。…あんた、ひょっとして怪人の事を本気で…」
 自分は怪人の事を、よもや。その先に考えが及ぶのを食い止めるためにかぶりを振った。多分、そういう事ではないのだ。
 アンジェリークのその仕草を見ていたロザリアはしばらく物思いに耽っていたが、突然窓辺に近寄ると窓を開け放した。そして凛とした声で告げる。
「お行きなさい」
「ロザリア…? 一体何のつもり」
「部屋の前にはジュリアス様の補佐官が張っているのでしょう? 出て行くんだとしたら窓からしか無いじゃない」
「行かせてくれるの? 怪人の元へ」
「だって…あんたのそんな目を見たら…わたくし、あんたを止められない。好きなようにしなさい。何処へなりとも行ったらいいわ。叱責ならわたくしが受ける。ただし、今度ジュリアス様からあなたを止めるように頼まれたら、わたくしは容赦しなくてよ」
「そう来なくちゃ。…お互いにね」
「本当は止めたい。ジュリアス様のご機嫌を損ねたくないもの。…けれど、怪人に向かうあんたの気持ち、分からないでもないから。気を付けて行くのよ、きっと次は無いんだから」
 ロザリアの伏せた睫毛をまじまじと見つめた。未だロザリアは迷いの中にある。ジュリアスの味方となるべきか、友人の助けとなるべきか。明日こそは敵になっているかもしれない。自分を窓から放り投げたあと、その足でジュリアスに再び密告するかもしれない。いずれにしろ時間が無かった。使える機会は使う、そのつもりで窓の縁に手を掛け何とか乗り越えながら、アンジェリークは振り返らぬままさよならを告げた。

「…ありがとう」

 返事は無かったが、きっと伝わっていると思う。


つづく


back / next
→ネオロマ小説へ
→home